伊賀忍者を知りたい!ヘッダーイメージ

忍者とは?

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今では外国人にとても人気のある忍者。
いったい忍者は、何者?いつ日本で活躍していたの?と時代劇を見ることが少ない若者以外でも忍者を知りつくしている方は少ないのでは?
忍者は、人目に触れないように身を隠す術を身に着け、日々の訓練で驚異なる身体能力を持ち、忍術と呼ばれる独特の技で、火や水を操り姿を消すことが出来たといわれています。
日本の飛鳥時代~江戸時代に、大名や領主に仕え敵国への侵入、放火、破壊、夜討、待ち伏せ、情報収集などを行い、また鉄砲隊として甲賀百人組、伊賀百人組に編成され、百人番所に勤番で詰めて江戸城大手三之門の警備を行ったり、各諸大名が抱えることもあったといわれています。

伊賀流忍術とは?

忍者には流派があり伝書や資料で確認される流派は49流派という説がありますが、その中でも有名な伊賀流忍術について掘り下げてみると、伊賀流は独特な訓練法と、幼少の頃から厳しい訓練のもと、優れた忍者を育てることを伝統とされていたそうです。そして、金銭契約で特定の大名には就かないといった特徴があり、伊賀忍者たちは、「上忍三家」と呼ばれる服部・百地・藤林の三氏によって統率されていたと言われています。伊賀忍者にとって掟は絶対のものであり、忍者を辞めて里から出る「抜け忍」を厳しく取り締まっていたようです。

忍者と呼ばれていなかった?

昔は忍者(にんじゃ)と呼ばずに、時代や地域によって呼び方がたくさんあったそうです。
時代別では、飛鳥時代—志能便(しのび)、奈良時代—伺見(うかみ)、戦国時代—間者(かんじゃ)・乱破(らっぱ)、江戸時代—隠密(おんみつ)、大正時代—忍術者・忍者(にんしゃ)と呼ばれ、地域別では、すっぱ、だっこう、うかみ、らっぱなど数多くの呼び名があり、”にんじゃ”と呼び名が定着したのは昭和30年代に入ってからといわれています。忍者は男性だけではなく、女中や小間使いとして潜入して諜報活動を行っていた女性の忍者も存在し、女の忍者は「くのいち」と呼ばれました。“女”という文字を「く」「ノ」「一」と三文字に解体し呼称するようになったと言われています。

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